一番大事なもの

そんな訳で、

 主にPC教室に通う高速バス車内でこのブログを書いている。

 ちなみに今日はエクセルマスターブック(ベーシック、アドバンスを終了した後の課題集)2回目だ。

 では、本題。

一番大事なもの、って

 時とともに移ろっていく。それに気づくタイミング次第でもある。

私は結婚自体が遅かったにもかかわらず、「子供は2〜3年してから」などと寝ぼけたことを考えていたせいで、妊活も遅れた上に調べたら授かりにくい体だったらしい。

 夫は「どっちでも」って姿勢を終始崩さず。思い返すと、どちらかというと子供のいない人生の方を想定していたのではないかと感じられる。

 まあ、色々あったが高齢でも無事2人の男児を授かった。

 誰だったか「女は子供を3人産んでやっと母親になれる」と言っていたが、今思うとなるほどな、と感心する。

 私は一人目を産んだあとも、と全く意識が変わってなかったようだった。育休をとらず、ヒョイと子供を預けて「体力さえ回復すれば産前と同じに働ける」と思い込んでいた。母親になったという実感が希薄だった。

そんな私が欲張って二人目も産んでしまった。

 私が39歳と364日と23時間と55分の瞬間、つまり40歳の誕生日を迎える5分前に、我が次男は元気な産声をあげた。助産師さんが「あ、もういつ息んでもいいですよ。・・・でももうちょっと待てばお母さんと同じ誕生日になりますね♡」と気を利かしてくれたが、「いーや。今産みます。30代のうちに‼︎」と私。

 そんなつまらない意地は全くどうでも良いことだったとその1年後に気付いたけど。

それはさておき、長男はかなりの不思議クンだった。

 このブログ中でも、また近しい人にはFacebook上でも散々ぼやいてきたが、 どうやら多動のない注意欠陥だった。薬を飲んだら私も、そして何より本人も楽になった。

http://furarikoho.hatenablog.com/entry/2014/08/10/150651

そうして格闘している間、次男は「まじ天使」だった。

 私の記憶している限りでは、保育園のあひる組(2歳児クラス)の頃は、特にその上の年代から熱い支持があったと保育士さんから聞いている。ある朝、次男を保育園にお願いして行こうとすると、保育士さんがこそっと「あれ、見てください(笑)」と保育室の中を指差す。まだ早い時間だったので、登園した園児が縦割りで一つの保育室で自由な時間を過ごしていた。次男が入っていくと先に来ていた園児5〜6名が夢遊病のようにフラフラと立ち上がり、次男の後ろに1列に並んでついていく。どこ吹く風でまっしぐらにおもちゃ箱に向かう次男。お気に入りの逸品を手に、保育室の中央におもむろに正座すると、なんと彼を中心にして他の園児が取り囲むように座り、無言のまま次男の一挙手一投足をじっと見守っているではないか‼︎

 満足げにうなづく保育士さん。対して私は狐につままれたような思いだった。なんだか神々しいものを見てしまった気がした。

が、その後しばらくして見事に堕天。

再び私の苦悩の日々が始まった・・・いや、まだ続いている。

むしろ絶好調。

 

               ・・・そろそろおなかいっぱいなのでまた後で。