プチ別居解消
前回の更新からまたまた日があいてしまった。
新鮮で気ままなプチ別居生活も、やはり子供たちの登下校や子供会の地区割りなどがからんでくると、色々考えるところが出てくる。やはり、下校班のメンバーと地域ぐるみでの信頼関係が希薄だと、時にちょっとしたトラブルが発生する。結局は車で送迎、行き違いになり、ぐるぐる同じ道を何度も車で行き来し、泣きながらとぼとぼ歩いている次男くんを回収する、という事例が相次いだ。
それから、物をどちらかに置いてきてしまった時が面倒。宿題をアッチに置いてきた、帽子をコッチに置いてきただので、無駄に忘れ物が増える。
何より、プチ別居生活で私の満足感が満たされた。もうお腹いっぱい。
ということで、やはり本拠地を元に戻すことに決定。最初からなんとなくで始まっているので、戻る時もしれっとなんとなく戻ってみた。以来、つつがなく生活を営んでいる。
こういう期間を置いたことで、非常に気持ちの整理もつけやすくなった。まず、主人は主人の世界、私と子供達は自分たちの輪の中で、それぞれ別の時間が流れることに違和感がなくなった。きっと、今まで私は無意識に色々「今これをやってくれれば」とか「これをやっておいてくれれば全体がうまく回るのに」とか、色々期待しすぎていたのだろう。期待することをやめた、というか自然にしなくなったらとっても楽になった。
さて、来年度以降はセカンドハウスをどう活用するか?
これもちょっとずつビジョンが見えてきた。平たく言うと、貸し出そうと思っている。ただ、ちょっと遊び心を付け加えて。これに賛同してくれる人を募り、コミュニティを形成しつつ、助け合ったりシェアしたりできたらいいな、と漠然と考えている。今後は関わる人たちと一緒に方向性を決めていければいいな、と。
・・・しみじみしたところでまたそのうち更新
“なんとなく別居”はヘンですか?
ひょんなことから
自宅から車で約3分のロケーションに別宅を入手した。
色々な偶然が重なってのことなのだが、経緯が珍妙で説明がめんどくさいので省略。当初は貸家にでもしようかと思っていた。
でも、よくよく考えたら、こんな機会はめったに転がり込んでくるものではない。折角だから自分の空間をエンジョイすべし‼
勿論、法人の拠点とすることも考えてはいるが。それに、貸しに出すのはいつでもできる(モノを溜め込まなければね)。
誤解のないように補足しておくが、夫婦仲が特段悪いわけではない。ただ、前々から思ってはいたのだけど、夫は元来独身主義者、あるいは子供を持たず気ままな生涯を送るつもりだったのではないか、と随所で感じられるのだ。彼的には、私が後押ししなければ脱サラして牧場など始めなかったというかも知れない。が、私にはわかる。
「彼はやりたいことは必ずやり遂げる」漢(オトコ)だ、ということを。
性差に起因するものなのかは不明だが、夫は予め役割分担が決まっていないと落ち着かず、またその範囲から逸脱することをひどく嫌う。私なんかは、臨機応変・やれる人がやればいいじゃない、と思うわけなんだが。
夫の場合、夕ご飯の支度に関しては完全に自分のテリトリー外のようで、そこにはある種の「絶対やらないゾ‼」という確固たる意志すら感じられる。まあ、自分の主婦力のなさを棚に上げるのも気が引けるが、私が子供の相手をしていたり、テキパキ段取り良く事が進まず夕食が遅くなると、待ち切れず自分の分のコーンフレークを用意し、牛乳をかけて掻っ込んで20:30には早々に就寝する。文句を言わないからいいダンナさんかもしれないが、食に関しては恐ろしくストイックだ。元々アスリートなので、毎日プロテインドリンクでもノープロブレムなのだろう。そして規律正しく、朝は5:00前に起床して馬の世話をする。全てに於いていーあんばいの私とは全く正反対だ。
・・・でも、だよ?じゃあ、すべて合理的に考えたら、一つ屋根の下に居る理由って何だ?
かくして、「主な理由:ライフスタイルの違い」で、子供たちを連れて「プチ・別居」が始まった。というか、私が勝手に始めた。当然、離婚する必要性などこれっぽっちもない。ただただ、折角物理的に環境が揃ってるし、各々がやりやすいようにやってみたらいいんじゃないの?というだけ。
これに対して夫は「???」と感じている様子はあるものの、特別突っ込んで理由を聞いてきたりしない。私も敢えて言及は避け、「今日は子供達のピアノがあるからコッチに泊まるね」などと電話で都度報告に留まる。
実に淡々としている。まるでご隠居後の老夫婦みたいだ。あるいは夫が牧場に単身赴任している、という見方もできる。とはいえ、非常に広義な見方をすれば「まあ円満」と言って良いのではないか。
という訳で、一部のご近所の皆さん。ひとつもスキャンダラスでもなければドラマチックでもない理由でゴメンナサイ。
また気が向いたら更新。
一番大切なもの(後編)
二人の兄弟は、面白いほど正反対だ。
カレーライスをよそれば、長男は白いご飯だけ、次男はルーと具だけ食べる。食器洗係的には「2人で一つの皿で済ませていいんじゃないか」と思ってしまう。
・・・あんまり気の利いた例ではなかったが、とにかく性格が正反対だ。長男は静かに独りの時間を好み、人見知りだが気心が知れてくると穏やかでクラスの中でもわりと誰とでも上手く合わせられるみたいだ(過去はさておきあくまでの今現在の話)。対して次男はナカナカの暴れん坊で、ちょっとしたことに大声で騒ぎ出す。初対面のお客さん大好き、下校途中にお友達のお宅に上がり込んでちゃっかりご馳走になってたりするので油断がならない。
天使だった頃が懐かしい・・・。
そんな次男なので、何度か「多動」を指摘されたことがある。3〜4歳の頃、かかりつけのドクター(今は転勤してしまった)が「こりゃ是非専門家に‼︎」と張り切って紹介状を書いてくださった。が、当時は天使の面影が残っていたのと同時に、長男のことで頭がいっぱいで「多動?次男くんが??」「この子は本当に手のかからない子でーーー」と全く思い当たる節がなかった。
いや、本当のところは「手がかからない」のではなく「手をかけない」だけだった、と後で思い知ることになる。
次第に暴れっぷりが表在化するようになった次男くん
が、集団生活では特に出歩いてしまうなど逸脱した行動はない模様。
折角の紹介状、有り難く使わせていただきます‼︎
専門医受診。二人同時に診察室に入った瞬間、つかみ合いの大げんかが始まる(あ、先生とじゃないよ念のため)。そして何故か、ついでに受診したはずの長男くんが見事確定、次男くんは経過観察となった。が、とにかく家では常に動き回る。階段の手すりに登っては飛び降りを繰り返す。思うようでないと奇声を発して暴れまわる・・・。エネルギーを吸い取られていくような錯覚とともに「次男くんも"何か"があるんじゃ?」という思いに次第に蝕まれていった。
長男が確定したことで、私の目にフィルターがかかってしまったのかもしれない。
悶々としながら県の教育支援センターへ
1度面談した後、日を改めてWISC-IVというテストを受けることになった。
http://www.taisetsunakimi.net/_themes/docs/wisc4.pdf
・・・判定結果は「極めて平均値」
寂しかったんだね。ゴメンね次男くん。
可能性が一つ潰れたことで、方向性も見えてきた。要はキチンと構ってあげてなかっただけなのだ。とはいえ、いわゆる「育て直し」の作業は果てしない道程に感じる。
結論。一番大切なのは、「今」をキチンと生きること。
・・・どうよ?今の。
一番大事なもの
そんな訳で、
主にPC教室に通う高速バス車内でこのブログを書いている。
ちなみに今日はエクセルマスターブック(ベーシック、アドバンスを終了した後の課題集)2回目だ。
では、本題。
一番大事なもの、って
時とともに移ろっていく。それに気づくタイミング次第でもある。
私は結婚自体が遅かったにもかかわらず、「子供は2〜3年してから」などと寝ぼけたことを考えていたせいで、妊活も遅れた上に調べたら授かりにくい体だったらしい。
夫は「どっちでも」って姿勢を終始崩さず。思い返すと、どちらかというと子供のいない人生の方を想定していたのではないかと感じられる。
まあ、色々あったが高齢でも無事2人の男児を授かった。
誰だったか「女は子供を3人産んでやっと母親になれる」と言っていたが、今思うとなるほどな、と感心する。
私は一人目を産んだあとも、と全く意識が変わってなかったようだった。育休をとらず、ヒョイと子供を預けて「体力さえ回復すれば産前と同じに働ける」と思い込んでいた。母親になったという実感が希薄だった。
そんな私が欲張って二人目も産んでしまった。
私が39歳と364日と23時間と55分の瞬間、つまり40歳の誕生日を迎える5分前に、我が次男は元気な産声をあげた。助産師さんが「あ、もういつ息んでもいいですよ。・・・でももうちょっと待てばお母さんと同じ誕生日になりますね♡」と気を利かしてくれたが、「いーや。今産みます。30代のうちに‼︎」と私。
そんなつまらない意地は全くどうでも良いことだったとその1年後に気付いたけど。
それはさておき、長男はかなりの不思議クンだった。
このブログ中でも、また近しい人にはFacebook上でも散々ぼやいてきたが、 どうやら多動のない注意欠陥だった。薬を飲んだら私も、そして何より本人も楽になった。
http://furarikoho.hatenablog.com/entry/2014/08/10/150651
そうして格闘している間、次男は「まじ天使」だった。
私の記憶している限りでは、保育園のあひる組(2歳児クラス)の頃は、特にその上の年代から熱い支持があったと保育士さんから聞いている。ある朝、次男を保育園にお願いして行こうとすると、保育士さんがこそっと「あれ、見てください(笑)」と保育室の中を指差す。まだ早い時間だったので、登園した園児が縦割りで一つの保育室で自由な時間を過ごしていた。次男が入っていくと先に来ていた園児5〜6名が夢遊病のようにフラフラと立ち上がり、次男の後ろに1列に並んでついていく。どこ吹く風でまっしぐらにおもちゃ箱に向かう次男。お気に入りの逸品を手に、保育室の中央におもむろに正座すると、なんと彼を中心にして他の園児が取り囲むように座り、無言のまま次男の一挙手一投足をじっと見守っているではないか‼︎
満足げにうなづく保育士さん。対して私は狐につままれたような思いだった。なんだか神々しいものを見てしまった気がした。
が、その後しばらくして見事に堕天。
再び私の苦悩の日々が始まった・・・いや、まだ続いている。
むしろ絶好調。
・・・そろそろおなかいっぱいなのでまた後で。
データベース大好き♡→今カオス
諸事情により
データベース化、情報の利活用の模索に情熱を燃やした時期があった。勿論、今も可能であればそれを生業として新しいビジネス分野に進出できればいいな、という淡い期待も捨ててはいない。
そもそも、薬剤師として(既存の)仕事がデキる(速い)人はデータベース化なんて回りくどい手法には微塵も興味を持たないようだ。
企業の基礎研究分野から突然病院内の薬剤部門に放り込まれた、もとい飛び込んだ私は、当然生え抜きの薬剤師とは思考回路が違う。一々「なんでこんなやり方するんだろう?」「もっとこうすればいいのに」など余計なことを考えてしまう。故に、仕事も遅い。
なにより我慢できないのは、紙ベースで溜まっていく仕事の記録が物理的に積み重なっていくだけで、その後陽の目を見ないケースが圧倒的に多いことだ。
・・・で、
紆余曲折の末、院内に捨て置かれていたデータベースソフトMS Accessで自作データベースを作り始めた。これに関しては語りつくせぬ万感の思いがあるのだが、長いので省略(また気が向いたら書くかも)。結論から言うと、作品は儚くも時代の波に埋もれていった。同僚の心にはひょっとしたら「データベースって便利だネ」ぐらいは残ったかもしれない(と信じたい)。
これまた語り始めたら収拾がつかなくなるので別の機会に回すが、iOs搭載のタブレットやスマホなど複数デバイスのデータを一元化できるという利点から、FileMakerでのデータベース構築をマスターしたいと思うようになった。が、悲しいかな今までの経験は殆ど役に立たず。近場にはFMを習得できるPCスクールは無し。
そんなこんなで
都内某所の大手PCスクールにまで足を伸ばし、FMベーシック講座を申し込んだ。
・・・授業はオンデマンド配信だった・・・
コレわざわざ都内まで来なきゃだめですか?e-ラーニングってやってくれないの??
とモヤモヤが渦巻きはしたが、当時の私はとにかくがむしゃらだった。まあ、都内で独りランチでもしながら息抜きもいいかな、という邪な考えも少しはあったが。
ほぼ週1コンスタントに通い、3ヶ月ほどで講座も終了というタイミングで、「データベース構築するならVBAとかもいかが?」とスクールからお誘いが来た。
「うむ、それも悪くないかも(独りランチ)」
の流れで勧められるがまま申し込んだ。折角だから基礎から、というかいきなりVBA講座はダメですよ的な雰囲気でエクセルベーシックから始めることに。
来年度からは自法人(起業準備期間長すぎ)のため、薬剤師としての実務時間を減らそうと計画していたこともあり、ここは一つジックリ行きますか、の軽い気持ちでベーシックからVBAまで受講料一括納入。
ところがね、時間ができると今まで目をつぶっていた目の前の問題が見えちゃうんですよ。
カオスすぎてサマライズできないけど、なにはともあれ、都内まで行ってエクセルベーシック習ってる状況じゃなくなっている。計2ヶ月休講できたけど、今じゃヒーヒー言いながら2限の途中から授業に入って、昼も食べずにソッコーで帰りのバスに乗り込む。確実に滞在時間より移動時間の方が長い。
なにやってるんだろ、私。自業自得とはいえ時間に追われてすっかり目標を見失っちゃったよ。
通ってくる生徒さんは老若男女色々な面々だが、一つ隣の席の就職準備(?)の女子大生が「今時エクセルぐらいできないと職場でいじめられちゃうよ、ってお母さんから言われちゃってぇ…」とスタッフさんに話しているのを聞いて癒された。いや、実際には思わず吹いてしまったんだけど。
そんなことないから安心して♡
皆、職場で必要なとこだけその場で教えてもらって使ってるんだから。
私的には今更エクセルベーシックを都内まで習いに行ってるなんて黒歴史、と内心思っているので、他人には内密にしている(書いちゃったけど)。
・・・つづくよ多分
自分の中身をカテゴライズ(その2)
ワタシという人間の成分分類
思い立ったら吉日、的に。
エラーになることがわかっていてもトライしてしまう私。きっと客観的には「色んな風呂敷広げて大丈夫?」と見えるかもしれない。でもそれは自分の中にいくつもの面があって、その時その時ひょっこり顔を出す想いを口に出すからで、ビッグマウスなつもりは全然ないのだ。
考えをまとめる上で、現在の私がいくつの顔を持っているのか、またそれぞれの立場で何を優先して問題解決したいと考えているのかを掘り下げてみたい。
おかーさんとしてのワタシ
第一は何と言ってもコレだろう。「育てにくい子」と心配されていた長男も、多方面からのサポートのお陰で、思いやりのある優しい子に育ってくれている(今のところ)。それより今の旬は次男。低学年のうちは特に目を配ってやらないとね。
3歳検診の頃から多動を指摘されてきた次男。これまでブログでは殆ど彼について触れてはいなかったが、ここでちょっとずつ吐き出したい。とはいえ、解決策の道筋はある程度見えてきたからまあいいか、という気もしてるが。
医療従事者としてのワタシ
病院勤務の薬剤師。亡き父も医療に生きた人である。父は医療にあまりにも熱心すぎてなかなか家には帰って来ない人だった。お通夜の席で赤の他人から「その人となり」を伝え聞くという有様だ。
そんな父も、今思えば背中で生き様を見せてくれたと言える(いや、本人はあくまでもやりたいことをおもいっきりやってただけ?)かもしれない。
とにかく、私が薬剤師という括りに留まらず、もっと広い視野で医療に関わりたい、と何かに突き動かされるような気持ちになるのは、父が私の中にコッソリ撒いた種のせいなのだろうか。と今更ながら思うことがある。
ヨメとしてのワタシ
幼い頃の「おいしゃさんはいえにかえってこない」という刷り込みがあるせいか、ムスメ時代の私は「ゼッタイ医者なんかとは結婚するもんか‼︎」とかなり意固地になっていた。で、数々の荒波を乗り越えて、念願の「医者じゃない人」と結婚した。やりたいことをやる貪欲さは父譲りなのかもしれない(いやいや、やりたくないことはやらない、の間違いじゃないのか?)。
因みに、数年前まで堅い仕事をしていた夫は、現在小規模ながら乗馬施設の主だ。そして御歳85歳の義母も半同居。年齢の割にかなり自立度は高い方だと思うが、最近ちょっと弱気になりかけている様子。メンタルな面での支えというのは、どうしたら自然に介入できるのか。難しい問題だ。
ワタシとしてのワタシ
背負うものが多くなってくると、自分のことは後廻しにしがちだ。が、自己犠牲的な気分になって責任転嫁するなんて事はしたくない。と言いつつも、割といーあんばいの性格なので、譲歩できる範囲ならあんまり細かいことにはこだわらないタイプだと思う。でも自分のモノサシで「ゼッタイにやりたくないこと」はゼッタイにやらない。
多分私は隠れエゴイストなのだと思う。
といったザックリ分類をもとに、「今はこの立場で考えて書いてますよ」とまとめてみよう。そうでないと色んなことに手をつけて全部やりっぱなしの「片付けられない女」にしか見えないだろうから。
・・・(やっとこさ)つづく
自分の中身をカテゴライズ
法人はできた。
・・・が、自分の身の丈に対して夢がでっかすぎて、いったい何がしたいのか自分でもわからなくなってきた。
因みにさわりだけ明かすと、遠い遠い将来になるかもしれないが、医療福祉分野で情報関連の地域連携の一端を担いたいと思っている。
とはいえ、我ながらビジョンがモヤの中で、第三者の協力を得ようと思っても、全く説得力がない。実現するためのスキル、思考力をつけるために、もう一度学生さんになることも選択肢の一つ。
そこで、とある学会でお知り合いになったT大学のK先生にご相談。ご親切に直接お会いするお時間を作って下さった。
訪問当日。
慣れない場所ではいつものことながら、右往左往しながらやっとの思いで先生の研究室へ。
先生自らお茶を淹れてくださり、恐縮しきり。世間話から程なく本題へ。・・・長いので中略。
私のふわふわぼんやりした案に容赦無くバッサ、バッサと斬り込みが入る。まとめると、大学で研究するとしたら
・発想が今までにないものかどうか。あるいは
・新しい分野か。あるいは
・既存の報告と違う視点で捉えているか。あるいは
・分析、解析の方法で新しい発見があるか。
視点といってもコストを重視するのか、利用者のQOLの向上を追求するのか、純粋に医療、医学的な治療効果を評価したいのか、誤処方、誤投与などを未然に防ぐリスクマネジメントの観点か、あるいは診療科目別にも評価項目が変わってくるはずだと。
要は「困っている人はだれか?」をはっきりさせるのが重要。
感想。
・・・う〜ん。自分、まだまだだな。プレゼン能力も含めて。
とにかく、K先生。大感謝です。
(ぼちぼち)つづく